◆源田実は間違いなく第一級戦犯

源田実という海軍大佐がいたことを知っているでしょうか。真珠湾攻撃などを指揮した海軍の有名な軍人です。

その彼が海軍軍用機の製造に口を出していたことは有名です。その彼の主張はいつも同じでした。

「軽くて動きやすい飛行機を作れ!防弾鋼鈑などとんでもない!重くなる装置は極力減らせ!」

そうして設計・製造された戦闘機や爆撃機はみんな脆い航空機ばかりでした。特に零式艦上戦闘機などはその最たるモノです。旋回性能はよかったものの、被弾に弱くパイロットに曲芸飛行を強いるような飛行機でした。

ようするに、死にやすい戦闘機ばかり、というわけです。

戦争の後半にはると、陸軍では四式戦闘機”疾風”が登場しましたが、コイツは速度も600キロを叩き出せる重戦でした。燃料タンクは防弾仕様で鋼鈑もふんだんに使用された、撃墜されにくい戦闘機だったのです。

海軍パイロットは、陸軍がさぞかし羨ましかったことでしょう。

そう、源田実は死を恐れるとは何事か!という勢いだったわけです。死を恐れる軍人は恥ずかしい、精神がぶったるんでいる、というわけです。

そんな部下の人命なんてどうでもよいと思っている源田実が、神風特別攻撃隊をたきつけたことは想像に難くありません。

敷島隊が自ら自爆攻撃したことは多分、本当だと思いますが、それを聞いた源田実は、これだっ!と思ったのでしょう。記録には残っていませんが、あの手この手で部下を神風特別攻撃隊として送り出したはずです。

それでもって、その罪を全て大西中将におっかぶせて(大西中将は終戦時に割腹自殺しています)本人は、戦後ものうのうと生きながらえてとうとう寿命がくるまで生き続けてしまいました。

以前にNHKが放送した海軍の反省会録音テープの特集で、ようやく源田実を取り上げていました。ようやく出てきたか、という感じです。みんなうすうす感づいていたのでしょうけどね。

まあ、陸軍には牟田口と辻という超特急戦犯がいますが、私に言わせれば源田実も同罪です。日本人将兵の命を大量に奪ったその罪はあまりにも大きいと思いますね。

そんな人間が日本に二度と出てこないことを祈るばかりです。