◆機動部隊の実験 真珠湾攻撃 コーラルシー

戦前に機動部隊による攻撃を想像していたのは、多分山本五十六提督や井上中将あたりだけだったような気がします。

開戦直前に大型で実用性に優れた空母を持っていたのは日本とアメリカだけです。イギリスはなんちゃって空母だし搭載機が貧弱なので問題外です。

それでも、実際に空母を集中運用したらどれだけの戦果が出せるのか分からなかったはずです。なにせ前例がありませんからあくまで想像力でしか運用を設計できません。

アメリカは1隻の空母の回りを護衛艦艇でぐるりと取り囲んだ輪形陣を基本にしていましたから、集中運用についてどれだけ考えていたのかは不明です。が、それほど重視していなかったように思います。

一方の日本海軍は空母の艦橋配置を逆にした同型艦を建造して併走する陣形を採用しようとしていました。これは集中運用を考えて空母を設計した結果だと思いますね。


つまり、空母の集中運用を真剣に考えていたのって、当時日本海軍だけだったのではないでしょうか?


さて、山本提督は試したかったに違いありません。空母の集中運用によってどれだけの戦果を望めるのか?そこで、日米開戦に反対はしたけども、日本海軍の実力も試してみたいような気がした・・・ かどうかは無論不明です。

でも実験するチャンスだったはずです。

だって、山本提督の頭の中には、就役したばかりの戦艦大和で、ハワイを砲撃なんてプランはなくて、(宇垣とか黒島なら多分砲撃プランだったように思います)あくまで航空攻撃によって日本軍の被害を最小限に抑えたかったに違いないからです。

結果は旧式とはいえ、戦艦を撃破して飛行場を破壊しました。大戦果に当の本人も驚いたことでしょう。それを体験したアメリカも急遽空母を集中運用する方針を固めたことでしょうね。

それから、珊瑚海で世界初となる、空母中心の機動部隊同士が激突します。原少将率いる新米空母翔鶴と瑞鶴が、アメリカの空母レキシントンを撃沈、ヨークタウンを大破。日本側は翔鶴大破というちょっと勝利っぽい結果になりました。

ここに至って、海戦の主役は空母中心の機動部隊になったと改めて世界の情勢が大きく変わりました。

今でこそ、大艦巨砲主義とか戦艦大和を引き合いに出して、バカにする向きというか、ものの例えにされていますが、太平洋戦争が起こらなければ、果たしてそのようなことが言える時代だったのでしょうか?

人は後付けで後から結果が分かっているからこそ、過去をバカにできるというものです。大艦巨砲主義などと軽々しい言葉を聞くたびに、お前は何様だよ、と思わずにはいられません。