【歴史】◆古事記は名作だけど作者がいて意図もあると思うべし
古事記・日本書紀・万葉集・古今和歌集、いずれも日本を代表する古典であると同時に、名作であることに間違いはありません。
しかしながら、研究する余地を残さないことは、逆に”しょうもないヤツら”につけいる隙を与えかねません。
例えば、万葉集は朝鮮語で読めるから日本の古典ではなく、朝鮮の古典で日帝が盗んで・改ざんしたものである。と、本気で言いがかりをつけてくる輩が沢山いました。
そんな”しょうもないヤツら”に対して、「日本を冒涜する不逞の輩」で済ませてしまうと、彼らに攻撃させる手段を与えてしまいます。
そうではなく、歴史の探究は絶対に必要で、たとえ、その結果、古事記が藤原不比等や持統天皇の謀略の産物であったとしても、それで名作の価値が下がることなどないのですよ。
その上で・・・・
「万葉集が朝鮮語で読めるというのは、絶対にあり得ないです」(安本美典先生の著作より)と学術的・数値的に反論して、言いがかりを潰してしまわないと、古典が穢され続ける可能性があるのです。でもそれは、歴史の真実を暴き出す行為に直結しています。
それで私は良いと考えています。
また、逆に古事記を聖典として位置づける行為を阻止することもできますから、一石二鳥ですね。
皇族の古墳みたいに、学術調査さえ拒否されてしまうと、古事記の価値が一気になくなるように感じてしまいますからね。