◆いつから”日本”と言い、いつから”天皇”と呼んだのか?
学校の歴史ではむろん教えてくれません。でも梅原猛さんのような天才が謎解きをしてくれるおかげで、想像ができるようにはなりました。
改めて読んだ梅原猛 著「水底の歌」
背筋が凍り付くような恐ろしさ、衝撃を感じます。
天才政治家、藤原不比等。彼はこの日本でどう生きてどう手腕を振るってきたのか?記録はさっぱり残っていません。
当時の中国は世界でもトップクラスの超大国。しかも超先進国。そんな中国や周辺諸国に飲み込まれないように手を打ったのが、藤原不比等だったのでしょうか?
彼が仕えた天皇は、天武天皇、持統天皇、元明天皇、といずれも激動の歴史を彩る、そうそうたるメンバですよ。
最終的には元明天皇の時代に、平城京の建設と首都移設を完了します。全ては不比等の意志で動いていたのかもしれません。彼が全てを計画して残した、とすると辻褄が合う事象がたくさんあります。
日本という国号は天武天皇が考えたのではなく・・・
天皇という名称は持統天皇が考えたのではなく・・・
平城京移設を指揮したのは元明天皇ではなく・・・・
むろん、
大宝律令による法治国家の建設。その段階で刑罰の対象として選ばれた柿本人麻呂。彼は水死刑に処された、と、梅原猛さんは言います。
本当に、本当に、藤原不比等が一人でなしとげたのでしょうか?
本当に、はじめて、天皇の耳元でこう囁いたのでしょうか?
「天皇は国に君臨するだけで充分です。政治や戦争は他の人間に任せましょうよ。例えばボクのようなミカド、いや”天皇陛下”の下僕が」
そして、最後の謎
藤原不比等、あなたはいったいどこから日本に来たのか? 古い豪族からすると、あなたは明らかに新参者です。もしかしたら藤原家の祖先は中国、隋あたりの政治家だったのでしょうか・・・・