●本日、昭和天皇の日 私のまとめ方●
●本日は昭和天皇の誕生日、昭和の日です。
これまで戦争責任があるかないか?と、そんな話を聞かされて考え込んでしまいました。でも最近ようやく整理ができてきました。
あえて断言します。昭和天皇に戦争責任など全くありません。
端的に言うと、責任がある、という意見が間違いだからです。
天皇は戦前も戦中も最高権力者ではありません。内閣があり、衆議院があり、戦時中の緊急時でさえ、御前会議で政府案の討議が行われています。
そもそも、大日本帝国憲法(明治憲法)でさえ、天皇が全てを決定できる権限を持つとは書いてありません。天皇が三権を勝手に行使するなどということはあり得ないのです。
その大日本帝国憲法を作成したのは、伊藤博文はじめ、西欧の憲法を勉強した人たちなのです。
立法は帝国議会の仕事で、そこで決まったことに対して天皇が判子を押しているのですから、現在の天皇と何ら変わりません。
●敗戦の謝罪
それでも、それでも、戦争に負けたことに対して詔書で「内蔵が引き裂かれそうだ」と、謝罪しているのです。
実際の責任があるなしに関係なく、自分は国の象徴だから、責任を負うべきなのは自分だ、とばかりに謝罪しているのです。これを逆手に取って、戦争責任があるではないか! というのは単なるいちゃもんです。
●終戦の判断が遅れた?
終戦の判断が遅れたのは昭和天皇のせいだ! と言う連中がいますが、、私に言わせれば勉強不足! 無教養極まりありません。
昭和20年8月10日 原爆とポツダム宣言の扱いを巡って、御前会議が開かれました。東郷外相ら無条件降伏派と、阿南陸軍大臣ら徹底抗戦派が3対3で真っ二つに分かれて議論が膠着状態になりました。
このままでは結論が出ませんから、最後は議長の鈴木首相が決定したら良い、ということになったのですが、事はあまりにも重大すぎます。鈴木首相も、自分には無理だから天皇陛下に最後の決定をお願いしたいと、なったのです。
そして、昭和天皇は決断します。
ポツダム宣言を受諾する、と。
国体の護持が担保できる保証はありません。日本が植民地となって国が無くなる可能性だってあったのです。それでも戦争を終結する道しかない、と、昭和天皇は判断されたのですよ。
●戦後
昭和天皇は日本という国が無くならないように最大限の努力を惜しみませんでした。マッカーサーのご機嫌を取ってまで、国民がこれ以上苦しまずに、日本を再建できるように行動しました。
白州次郎の贈り物事件などが起こったのもこの頃ですね。
私の世代は、小中学校で日教組の教育を受けて、反日思想に染まっている世代です。むろん天皇などいらない!無くしてしまえ!と、無条件に言います。天皇と言っただけで、右翼のレッテルを貼られて攻撃の対象になっていました。
それでも事実と昭和天皇の想いが消えて無くなることはありません。
言われ無き批判さえも受け止めよう、そう決意した昭和天皇のことを、今日くらいはしのんでみようと思います。
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