聖徳太子が遣隋使・小野妹子に持たせた書簡(例の皇帝煬帝を激怒させた)の直後に届けた書簡には、”東の天皇、つつしみて西の皇帝に”と書いて玉虫色の決着をして落ち着いたそうです。日本は昔から外交音痴だったわけではないと思うのですが・・・
まるで、100機のP51に零式艦上戦闘機1機で立ち向かうような・・・
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